【鏡島城】岐阜城の近くに鏡島城というお城があったらしい

鈴虫の鳴き声にあ〜秋になったなあと実感しているモトダです。

さて、前回はジョサイア・コンドル氏の設計した六華苑に行ってみたというブログを書きましたが
今回はマルホデザインがある「鏡島」という地域を取り上げたいと思います。

実はこの鏡島地区、その昔に「鏡島城」というお城があったんだそうです。
山が多い岐阜では山城が多いのですが、鏡島城は平城でした。
平城とは平地に築かれたお城で、有名所というと愛知県の名古屋城や京都にある二条城でしょうか。

そんな平城・鏡島城は岐阜城から車で20分弱の場所にあったようです。
鏡島城跡は現在このような感じになっています。

ドン。
岐阜県鏡島城跡の現在01

ザ・住宅地!!!
石碑の左右と後ろ、完全に民家!!!
 
  
国立デジタル図書や鏡島の歴史書を読んでみたところ、
築城者と城主には諸説あるようであまりはっきりしていないようです。
資料を読んでみると、2種類の説が。
 

美濃明細記説

室町幕府の末期に斉藤帯刀左衛門が築城。
河渡城(長良川を挟んだ反対側にある)の城主である安藤守就の城であり、
織田信長に武田信玄との内通を疑われ追放されるまで治めたとする。

※斉藤帯刀左衛門は生没年不詳不明の武士
※安藤守就は西美濃三人衆(斎藤家の家臣)の一人

美濃稲葉志説

1540年(天文9年)に石河光清が築城。
石河光清は長良川の洪水で荒廃した乙津寺を復興する手腕を発揮。
後、数代は鏡島城を居城としたそう。
 
※石河氏は日本の氏族。織田家、豊臣家に代々仕えたとのこと。 
  
 
 
 
あまりしっかりとした資料は現段階であまり見つけられず。
もう少し調べてみる必要がありそうです。
  
ちなみに鏡島城跡の石碑前はびっくりなことにゴミ出し場。
これは地域に根付いているといってもいい…のか!?
岐阜県鏡島城跡の現在02
 
 
現在の住居案内図を見つけました。
鏡島城散策_現在の案内図

おそらく鏡島中2丁目の西側から鏡島西1丁目のあたりは鏡島城の敷地内だったのではないでしょうか。
  
 
 
 
当時から、鏡島城の横には稲荷神社があったそうです。

創建年月は不明とのこと。
結構傷んでいました。
 
 
少し足を伸ばし、鏡島中1丁目の乙津寺さんのところへ。
ここには美濃稲葉志説にある石河光清のお墓があります。
鏡島城築城_美濃稲葉志説_石河光清のお墓

洪水で荒廃した乙津寺を見事に復活させた石河光清。
そんな乙津寺さんは今も同じ場所に建っています。

治水が進んだ現代ですが、最近の気候天候を考えるとこの歴史に考えさせられますね。
常日頃から出来る防災対策はしておきたいものです。

 
 
最後に。
今日のまち歩きで出会った猫ちゃんはこちら。
鏡島城跡散策で見つけた猫
 
個人的に、猫がいるまちは人が優しいまちだと思っています。
 
 
  
▽今回訪れたのはここ
鏡島城跡

稲荷神社

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