北海道 開拓時代のちょっとしたお話

マルホデザインのモトダです。
車に落とされていた鳥のふんがラズベリー色だったので、
鳥が何を食べているのか気になって仕方がない今日この頃です。

だいぶ前になるのですが、お客様とN○K連続ドラマのお話になりました。
今回は 北海道 の開拓時代が盛り込まれているんですね!

私の祖母は10代の頃に家族で北海道へ開拓に行っており、
よくその話を聞いていたので、謎の親近感を覚えました。

しかもちょうど昨年、祖母が開拓に行っていたという弟子屈(てしかが)という町に行ってきたんです。
網走から車で1時間30分くらいのところにある小さな町です。

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写真がどこか物悲しい雰囲気ですが…実際にこの町の若い方々は都会へ出てしまっているんだなという印象でした。
新しい町ではないので建っている建物はいろいろな年代のものが多いです。

teshikaga02

当時はこんな立派な橋はなかったそうです(80年も前の話…)

町はやはり様変わりしており、当時を知る人がいらっしゃらない。
ホテルの方に聞いても、当時を知る有力な手がかりは見つけられず…。
祖母が95歳なので、お世話になったという隣近所のお姉さんお兄さんは超長生きでない限りご存命ではない…。
ですが、当時見ていた大きな山は変わることなくそこにあり、懐かしさに目を輝かせていました。
当時も家屋ごしにこの山を見ていたそうです。

弟子屈の町から見える山。名前は不明…

もっと散策の時間をとってお散歩カメラしたかった!

ここから先は祖母の記憶語りになってしまうのですが、
歴史好きとしては面白いと思っているのでちょっと書き記してみたいと思います。

祖母の父(以降・曽祖父)は日本政府の大工募集の枠で北海道に入り、政府から支給される材料を使って
開拓に入った人の家やお宮さんを建てることを仕事としていたそうです。
そのため、生活は開拓民とは少し違っていたとのこと。

仕事柄、道具や技術があったので土地を開墾するなどして不要になった木々を製材し、現金収入を得ることが出来ました。
曽祖父は農業知識がゼロだったため、その収入で人を雇い、農作物を作っていたそうです。

タンパク源は野うさぎを捕まえたり、開拓の際に怪我などで死んでしまった牛など。
北海道といえば鮭なのですが、政府に捕獲を禁止されていて食べられなかったそうです。
祖母の兄は鮭を捕ったのがバレて隣町の刑務所まで引っ張っていかれたとのこと…。
隣町とは網走です。網走というと網走監獄を連想しますが、厳しい罰はなく厳重注意というかたちで翌日には帰ってきました。

そのかわり、マスは捕獲が許されていてそちらを獲って食べていたそうです。
(余談ですが、私はマスの押し寿司が大好物です)

やはり土地が肥えていないため、出来る農作物は芋ばかり。
栄養失調で本土に帰る人も多かったそう。
祖母はN○Kのドラマの家族は裕福な(?)開拓民だとしきりと言っていました。

他にも色々な話を聞きましたが、記憶に残っているのはこのあたりのお話です。
弟子屈では観光地!というような写真はほぼないのですが、祖母が楽しめたようで何よりでした!
 
 
最後に観光地っぽい写真を。
青いビールです。
 
青いビール
 
他にも網走ビールには監獄の黒なんていうものもあります。
次回のモトダのブログは弟子屈周辺のブログになりそうな予感。
→予感ではなく書いちゃいました!
北海道はスケールが違うなというお話

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住宅診断・リノベーション専門一級建築士事務所 マルホデザインのモトダでした!

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